夢を叶えるためにセブ留学を選んだ青年の物語(6)セブ留学をいま振り返る
僕はいま福岡で働いている。20代後半の「セブ留学→ジャカルタ勤務」を僕のビジネスキャリアの第1章とするなら、いまは第2章というところか。海外生活に比べれば少々地味だが、将来に向けて日々着実に歩んでいる。
僕は、意外とこうしたコツコツが得意だ。
ここで、僕の海外生活について少し振り返ってみたい。
フィリピン
セブ島
僕はあのセブの雰囲気が大好きだった。セブはアジア特有の熱気に包まれていた。カオスだった(笑)。そして、文字通り熱かった。
フィリピン人は底抜けに明るかった。いつでもどこでも、踊って、歌って、笑っていた。そんなところに、日本にはない自由さを感じた。誰もが人生楽しんでるように見えた。自分も身に付けたいな、そう思った。
そんな中、必死に身につけた英語。今では、僕にとって英語は特別なものではなくなった。上達したいという情熱はもうない。
言ってみれば英語は僕の体の一部になった。これからも、英語を活かして生きていきたい。特に力むことなく、ただそう思う。
こうして、僕が海外経験の話をすると、いつも聞かれる質問がある。
どうすれば、英語を話せるようになりますか?
僕の答えはいつも決まっている。思いを実現する!その思いがどれだけ強いか、それ次第だ。もう、それだけ。
何となく「日本にずっといるのも嫌だな~」では、セブに行ったからって勉強は続かない。日本にいても英語の勉強はできるのだ。
日本でできないことが、フィリピンに行ったらできるのか?残念ながら、フィリピンはそんな魔法の国ではない。むしろ、セブの方が日本より誘惑は多い。セブは本当に楽しい。しかし、英語が上達するかどうかは別の問題なのだ。
最後に、僕なりのアドバイスを送りたい。
留学には多くの出会いがある。いまでもセブでできた友人と会うこともある。しかし、僕が一番大きな刺激をもらったのはセブの学校の日本人マネージャーだった。
僕とあまり年齢の変わらない人が、海外で働いている。英語を使って自力で生きている。当時の自分との差に愕然とした。
彼と話すのは本当に楽しかった。彼は僕が知らない世界を知っていた。そして、海外生活を心底楽しんでいた。
だから、学校選びに迷ったら、日本人スタッフで選ぶべきだと思う。
正直、フィリピン人の先生に大きな差はない。少なくとも、学校間での差はない(転校した僕にはよくわかる)。Aという学校の先生だから優秀だ、という構図は成り立たない。
僕は、英語が話せるマネージャーと知り合えたことを幸運に思っている。英語が話せる彼の言うことには、イチイチ説得力があった。もしかしたら、このマネージャーに、将来の自分の姿を重ね合わせていたのかもしれない。
これで僕の拙い経験談は終わりだ。
こうして振り返ってみると色々なことがあった。セブでの生活はキツかったが夢のように楽しかった。
毎日ラブレターを書いていた日々から、もう8年が経とうとしている。
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『フィリピン留学 ブログには書けない話』
非帰国子女として英語を10年間勉強し、
英国にMBA留学し、
フィリピンに4年住み、
セブ島で英語学校を経営してきた
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