夢を叶えるためにセブ留学を選んだ青年の物語(5)僕はジャカルタに降り立った
インドネシアの首都、ジャカルタ。ここが僕の海外最初の戦場となった。
インドネシアの公用語は、勿論インドネシア語だ。しかし、僕の職場では幸いなことに英語が公用語だった。
インドネシア人が9名、日本人が2名の職場。その日本人2名とは、僕と僕の上司。しかし、上司はタイとインドネシアを管轄していて、ジャカルタに来るのは月に3日程度だった。
つまり実質、日本人は僕一人だった。完全な放置プレーだ(また騙された笑)。
なんて無責任な会社だと思った(笑)。一方で、このサバイバル感にワクワクもした。
僕は海外で働いている。この圧倒的な現実に僕は燃えた。しかも、日本人は僕一人。頼れるのは自分自身とセブで培った英語力。
そして、僕の英語は通じた。
僕は英語でコミュニケーションをとり、プロジェクトを進めることができた。僕は夢の実現を噛み締めながら、異国の地、ジャカルタで奮闘した。
僕が勤めた会社は、海外8カ国にブランチがあった。例えば、マレーシアやフィリピンのスタッフがジャカルタに来て、一緒に作業や打ち合わせを英語で行うこともあった。多国籍の人が参加する国際会議に参加することもあった。英語でプレゼンをすることもあった。
毎日が刺激に満ちていた。
僕は騙されてジャカルタに来た(笑)。そして、日本人は僕だけだった。しかし、結果的にこのことが僕の人生に多くをもたらした。
異国の地で「一国一城の主」として僕は働くことができた。僕はまだ20代後半だった。そんな若輩者が、「高い立場から物事を見る視点」を学ぶ機会を与えられたのだ。
僕はone of themではなかった。僕の代わりは僕しかいなかった。そこには、痺れるほどの責任感があった。快感と言い換えても良い。
こうして僕は夢を叶えた。
全てはセブから始まった。フィリピンで英語を勉強していなかったら、インドネシアに行くことはまずなかったであろう。
僕はセブで半年、徹底的に英語を勉強した。英語を勉強して本当に良かった。
いま心底こう思える自分を誇りに思う。
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『フィリピン留学 ブログには書けない話』
非帰国子女として英語を10年間勉強し、
英国にMBA留学し、
フィリピンに4年住み、
セブ島で英語学校を経営してきた
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